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サザンがデビューした31年前のこの日、彼らは既にスターだったんだ。 [日記]

昨日(6月25日)、ファラ・フォーセットとマイケル・ジャクソンが相次いで天国に召されてしまった。

現地時間の午前9時28分にサンタモニカの病院でファラが癌との壮絶な闘いに力尽きてしまった、その約五時間後、超高級住宅街のベルエアにある自宅から、心肺停止状態でウエストウッドにあるUCLA内のメディカルプラザに運び込まれていたマイケルは、午後2時26分に死亡が確認された。
二つの病院は距離にして約6キロ、車で約10分しか離れていないんだ。
マイケルは救急隊が午後12時30分前に自宅に到着した時には既に心停止だったというから、もしかしたらファラが旅立った約三時間後だったのかな。

それはまるで、寂しがり屋のファラがマイケルを呼び寄せたように、オレには見えて仕方ないよ。

ファラ・フォーセットと言えば、昔は、‘Damn Blonde’、いわゆる‘オツムの弱い金髪ネエちゃん’と見られた節(ふし)もあったかも知れないけど、テキサス大学オースティン校に通ってたことを思えば、決して‘DB’なんかじゃないよ。
1983年に初めて付き合い出したライアン・オニールとの間には24歳になる息子がいるけど、籍は入れていなかった。
二人はくっついたり離れたりを繰り返していて、ついに今月、初交際から26年が経った後でR・オニールはファラに結婚を申し込み、彼女もそれを受け入れていたというのに・・・悲し過ぎるね。

一方、MJの死で思い出されるのは、77年のエルヴィス・プレスリーや80年のジョン・レノンもそうだけど、近いところで、98年の5月に亡くなった “The Chairman of the Board”(直訳すれば‘取締役会長’)、または“Ol' Blue Eyes”(‘古い青い目’→‘青い目のおっさん’→‘青目の大物’←ダヨーンの勝手な解釈)と呼ばれた超大物のフランク・シナトラだな。

24/7(トゥエンティーフォー・セヴン、一日24時間で一週間の内7日。つまり‘常に開店営業’ってこと)ってよく言うけど、ラスベガスというと、‘元祖不夜城’とも言える、24/7/365、‘ホントのホントに決して眠らない’街だ。
深夜だろうが未明だろうが夜明け前だろうが、全てのカジノやホテルは、ネオンや照明がギンギンに輝いている街だけど、“Ol' Blue Eyes”が亡くなった時、夜、何時だったかは忘れたけど(午後9時だったかな?)、追悼の意を表して、ベガスの全てのカジノが一分間、ネオン&照明を落としたんだ。
あんな真っ暗なベガスを(テレビで、だったけど)見たのは初めてだったし、これから先もあんなことはないだろうな。

ラスベガスの上位クラスホテル、マンダレイ・ベイの、更にその上層階を占める高級ホテルのフォーシーズンズに、MJも2003年、一時期だけど‘住んでた’ことがあってね・・・。
あの時、自家用機でノースラスベガス空港にMJが到着してから、黒いキャデラックかリンカーンのSUVでホテルまで向かうところを、ず~っとパパラッチやテレビカメラが地上から、上空から撮影してたよ。
その時、実はラスベガス空港(ノースラスベガス空港じゃないよ)のプライベート機ばかりが利用するターミナルにオレはいたんだけど、そっちにも数人のテレビカメラマンたちがいて(各マスコミは両空港で張ってたんだな)、

『誰が来るねんッ?』

って思ったことなんかも思い出されるね・・・[たらーっ(汗)]




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