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しょうもないダジャレから広がった話の結末 [天使の街]

あの、水曜日から始まった暴動は週明けには鎮まっていて、オレは何日か振りに外出し、ヴァーモント通り(Vermont Ave.)を車で走っていた。
そして、‘例のカメラ屋’の前を通り過ぎてチョー驚いた。
というか・・・
カメラ屋がなくなっていたのでチョー驚いたのだ。

『パンナコッタ・・・いや、なんてこった・・・』

なんと、カメラ屋は焼け落ちていた。

それを見た瞬間、オレは・・・
誤解を恐れずに書くと、

『ざまあ見ろ』

って思ったよ。
笑いはしなかった。ほくそ笑むことさえも。
でも、鬱憤が多少晴れたことは確かだったんだな。
あの、‘悔し涙’の鬱憤が・・・。

実はあの暴動が起きた頃、L.A.辺りではアフリカ系アメリカ人と、‘あるアジアの国系’アメリカ人は仲が悪かった。
それは、暴動の数ヶ月前に地元で起きていた、ある事件が発端だったんだ。

‘あるアジアの国系’アメリカ人の経営するグローサリーストア(grocery store。食料雑貨店ってことだけど、いわば個人経営のコンビニってことだな)にアフリカ系アメリカ人の男が強盗に入った。
そしたら店主の女性は逆に、カウンターの下に隠していた拳銃で強盗に発砲してね、それは防犯カメラにしっかりと写ってたよ。
強盗は死んでしまって、それから両人種間の軋轢(あつれき)が生まれたんだった。

だからあの暴動の時も、怒り心頭に発してたアフリカ系アメリカ人たちは多くの、‘あるアジアの国系’アメリカ人の経営する商店に火を放っていたよ。
中には多くの‘便乗放火野郎’や‘便乗強奪野郎’もいたしね。
(なんで暴動は起きたのか、アフリカ系アメリカ人たちはなぜに怒り心頭に発していたのか、それを説明するとまた話が長くなるので、それは割愛しときます)

そういう騒動の中で、あのカメラ屋にも火が放たれていたんだな。
オレは、およそプロらしからぬ仕事をしたカメラ屋に対して、

『オレの恨みが罰(ばち)となって降り注いだんだよ』

って思ってたね・・・最初は。

ところが、何日経っても、何週経っても、焼け落ちた‘それ’は全く手が付けられなくて、そのままの姿をずっと晒(さら)してたんだ。

『どないしたんや、カメラ屋・・・?』

なんて思ってたら、暴動からかなり経って、‘そこ’はようやく更地になった。
けど、やっぱりしばらくの間はずっと更地のままで、何かが建つ気配はなかったな。
さすがにオレも心配になってね、

『おいカメラ屋、どこで何してんねん?』

って思ってた。
オレには酷(ひど)い仕打ちをしたカメラ屋だったけど、なかなか復活しないのを見ると・・・つまり、その更地をみると、とても気の毒な気持ちになったよ。
そして・・・

あの暴動から何ヶ月も何ヶ月も経ったあと、やっと何かが建ち始めた。

『カメラ屋!やっと復活か!』

と、オレはひとまずは安心した。
ところが、‘何か’の建造物が出来上がり、オープンしたと思ったら・・・

それは、魚屋だったよ。

悪いけど、オレは魚屋には用はなかったから、店を経営していたのがあの‘おばちゃんたち’なのかどうかはわからなかったけどね。

それから何年も何年も時は流れて・・・

今では‘そこ’は、コインランドリーと、チェーン展開しているピザ屋に変わってしまっているよ(参照。あのカメラ屋がどれだけ広かったかが想像できるんじゃない?)。

以上が、‘笑える火事なんて絶対にない’でオレが思い出したお話。
長くなってしまったけど、これにて全巻のおしまい!

・・・ってわけさ。
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