標準語で話してもダジャレにならないことも、関西弁にするとなってしまう。
小さいことだけど、そういうところから関西人のギャグに対する文化的土壌が培われていってるのかもね。
関西人同士の会話なら、

A「どうでっか?やっぱりこの金属は銅でっか?」
B「何をしょうもないこと言うてんねん!・・・」

みたいな感じで、自然とボケとツッコミになるかな。
きっとこのあと、上の会話はこう続くと思うよ。

B「・・・これは銅とちゃうで。亜鉛やで」
A「えーッ!?そんなことあえんッ!・・・じゃなくて、ありえんッ!」

一方、次の二人は亜鉛でしょう?・・・じゃなかった、どうでしょう?

C「どう?やっぱりこの金属は銅?」
D「二回も訊かなくていいよ。これは亜鉛だよ」
C「え?そんなことはあえんない・・・じゃなくて、ありえない」
D「いや。亜鉛ならここにあるよ」

これじゃあ、どっちがボケてるのかわからないね。
でも、これはこれでアリかな。

結局、色んな地域で色んな会話があって、人はみんな、そんな会話を楽しんでるってことなんだね。

チャンチャン



説得力のない文章でも、‘チャンチャン’と付ければ、それがオチとなってスッキリするよね。
・・・と感じるのは、吉本新喜劇を見て育った人だけだったりして・・・。