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そんなのプロじゃないんダヨーン [天使の街]

前回からの続き


あるアジア人(もしくは、‘あるアジアの国系アメリカ人’)が経営するあのカメラ屋は、家族経営だったんじゃないかな。
それにしては、まあまあ売り場面積は広かったよ。
ちょっとしたコンビニエンスストアくらいの広さはあった。
1992年だからまだデジカメなんてなかったけど、数多くの種類のカメラや、様々な感度のフィルムを含め、カメラの付属品も多数揃えていて、一般人が利用するには何不自由ないカメラ屋だった。
それなのに・・・。

なんと、映像のスピードがまた、やや早回し気味だったんだ。
まさに、

『信じられない・・・』

とはこのこと。

8mmフィルムからビデオテープへの‘コピー’の作業を担当したのがおばちゃんなのか、おっさん(旦那)なのか、はたまた息子が受け持ったのかは知る由もない。
でも、再度失敗を繰り返すとは、それも二回目だから細心の注意を払って然るべきところを、全く同じ失敗をしでかすとは、そんなの‘プロ’のやることじゃないな。
だって、それで稼いでるんだから。

・・・と怒ったり、嘆いたり、文句言ったり、仮に暴れたりしても、翌日に日本へと旅立つ友人に手渡すビデオテープの映像がノーマルなスピードのものになるわけもなく・・・。

オレは涙が出るほど悔しかった。
オレが撮って友人が写っているそのフィルムを、全くそのままの形でビデオテープにしてオレは贈りたかったんだから。

それが理由なんだ。オレがあのカメラ屋を心から恨んだのは(←これは‘結果’)。
そして、恨んでいたのは・・・(←これは‘継続’)。


さて、話は戻って(ここまでね)、1992年4月29日の午後7時・・・過ぎ・・・。
オレはテレビのチャンネルを変えまくった。
そしたら、

2チャンネル(KCBS、CBS系列)
4チャンネル(KNBC、NBC系列)
5チャンネル(KTLA、現在はCW系列だけど、当時はL.A.ローカル)
7チャンネル(KABC、ABC系列)
9チャンネル(KCAL、現在は2チャンネル[KCBS]と協力関係にあるけど、当時は完全なL.A.ローカル)
11チャンネル(KTTV、FOX系列)
13チャンネル(KCOP、現在は11チャンネル[KTTV]と協力関係にあるけど、当時は完全なL.A.ローカル)

というL.A.の主要地上波局の全てがヘリを飛ばして、市民が暴徒と化したサウスセントラル地区(今ではもっぱら‘サウスL.A.’と呼ばれている)の模様を中継していたのだった・・・。

つづく
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