土曜の夜はライブしよう! [テレビ]
ジョン・トラボルタの大出世作、“サタデーナイトフィーバー”(77年)が劇場公開された時のキャッチコピーは、‘土曜の夜はフィーバーしよう!’。
それを踏まえると、上記のタイトルによる今回の内容が何についての話か、もうおかわりですね・・・いえ、もうおわかりですね。
1975年10月11日、土曜日・・・午後11時30分(アメリカ東部時間)。
ニューヨークのロックフェラーセンターにあるNBC(注1)のスタジオから、新しいコメディー番組の放送がライブ(生)で始まった。(注2)
バカバカしいスケッチ(コントのこと)や、シチュエーションで笑わせるスケッチ、ニュースのパロディーなどの合間合間に、その週のゲストミュージシャンの歌を聴かせたり、その週のゲストホスト(司会)のトークを見せる90分の番組だった。
平日の深夜にNBCが放送していた、ジョニー・カーソン(注3)がホストを担当していた人気番組、“The Tonight Show”にちなみ、土曜日の夜に始まったその番組は、“NBC'S SATURDAY NIGHT”と名づけられた。
七人のレギュラー出演者は、全員がプライムタイム(日本で言うところのゴールデンタイム)の番組に出演するにはまだ経歴も浅いし知名度も高くないという意味から、‘Not Ready For The Prime Time Players’と呼ばれた。
(注1) アメリカ三大ネットワーク(当時)の一つ。残りの二つはCBSとABC。
(注2) シカゴなど中部時間の地域では午後10時半からの生放送。デンバーなどの山地時間とL.A.などの太平洋時間の各地域では、それぞれの現地での午後11時30分からの録画放送。
(注3) ジョニー・カーソン:62年から92年まで三十一年間にわたり“The Tonight Show”のホストを務め、‘深夜番組の王様’と言われた。アカデミー賞授賞式のホストも五度担当した。一昨年79歳で死去。
番組からは、開始一年でチェビー・チェイスというスターが生まれた。
彼は第2シーズン開始にあたり契約でもめ、その結果番組を飛び出し、番組出演者の中から先陣を切って映画界に進出した。
その後、番組のタイトルは‘現在のもの’に変わり、第4シーズンが終わった時点でジョン・ベルーシとダン・エイクロイドの二人は正式に番組を去り、C・チェイスに続いてハリウッドへ移った。
二人揃ってスティーブン・スピルバーグ監督のドタバタコメディー、“1941”(79年)に出演したあと、世紀の大傑作、“ブルース・ブラザース”(80年)を世に送り出したのだ。(注4)
この映画が日本で紹介されてからではないか。
人気コメディー番組、“サタデーナイトライブ(SATURDAY NIGHT LIVE)”(以下、“SNL”)の名前が日本で広く知れ渡るようになったのは。
エイクロイドの才能もさることながら、そのハチャメチャな‘怪演’で人気コメディー俳優の道を順調に歩むはずだったベルーシだが、82年にウエストハリウッドで急逝してしまう。
惜しい人を亡くしたと、心から悔やまれる。
第5シーズンが終わり、C・チェイスに変わって第2シーズンからレギュラー出演していたビル・マーレイ以下、その時点での出演者は全てが番組を卒業した。マーレイはその後、“ゴーストバスターズ”(84年)など数々の映画で人気を確立し、2003年には東京を舞台にした“ロスト・イン・トランスレーション”でゴールデン・グローブ賞主演男優賞を受賞するなど、今や実力派としても活躍している。(注5)
(注4) ブルース・ブラザースが“SNL”から生まれたキャラクターだというのは有名な話。黒い帽子にサングラス、黒いジャケット、ネクタイ、トラウザーズ(ズボンですね)に黒靴と、二人の格好が黒づくめ(ワイシャツは白)なのも知らない人はいないくらい有名だが、まだ‘ブルース・ブラザース’となる前、彼らは番組でハチの格好で歌っていた。そう、蜂ですよ。“みなしごハッチ”みたいなカッコ。名前こそ‘キラービーズ(Killer Bees)’と呼ばれていたけれど。
(注5) “ゴーストバスターズ”は元々ジョン・ベルーシが主演するはずだった。マーレイの映画では“恋はデジャ・ブ”(93年)がお薦め。センスのない邦題は気にせず観てみてください。
81年、日本でも“SNL”のようなコメディー番組を作ろうと、フジテレビの当時の某プロデューサーと某ディレクターたちが作り上げたのが、“オレたちひょうきん族”だ・・・という話を聞いたことがある。
どちらの番組も放送日は土曜日だというのは同じだが、決定的に違うのは、“SNL”は生放送だが、“オレたち~”は収録放送だったということだ。(注6)
80年秋の第6シーズンから“SNL”に登場したのがエディー・マーフィーだ。
彼は四シーズン足らずの間、レギュラー出演していた。(注7)
その後もこの番組からは数々のコメディー俳優が生まれている。ジョンの弟のジム・ベルーシ、“花嫁のパパ”シリーズや“マーズ・アタック!”(96年)などのマーティン・ショート。
“恋人たちの予感”(89年)、“アナライズ・ミー”(99年)や、アカデミー賞授賞式のホストを現時点で八回も担当しているビリー・クリスタルは、“SNL”のレギュラーになる前から既に人気コメディアンだった。
(注6) “オレたちひょうきん族”は、不定期放送を経て毎週午後8時からのレギュラー番組になったが、放送曜日は当初から土曜日だった。
(注7) 彼は19歳で番組に登場し、その毒舌であれよあれよという間に番組で一番の人気者になった。“48時間”(82年)と“大逆転”(83年)は“SNL”のレギュラーメンバー時に出演した作品で、番組を去った後、“ビバリーヒルズ・コップ”(84年)が製作・公開された。
“オースティン・パワーズ”シリーズや“シュレック”シリーズのマイク・マイヤーズや、“ウェディング・シンガー”(98年)、“50回目のファースト・キス”(2004年)のアダム・サンドラーは、今やコメディー俳優としてはジム・キャリーに次ぐ出演料を得るまでになっているし、“奥様は魔女”(2005年)でジャック(劇中劇でのダーリン)役を演じたウィル・フェレル(注8)は、ベン・スティラー(注9)と並び、今ハリウッドで一番忙しいコメディー俳優だ。
W・フェレルの出演作品の多くは今後も日本で未公開となることが多いかも知れないが、要注目のコメディー俳優であることは間違いない。
この“SNL”、現在オンエアされているシーズンが、なんと、数えて第33シーズン目になる。 “SNL”抜きにアメリカのコメディー番組は語れない。そんな、既に伝説でありながら、今なお続く人気長寿番組なのだ。
(注8) W・フェレルはアメリカではかなりの人気者なのに日本では彼の出演映画の多くが未公開だ。よって、知名度も低い。よって、“奥様は魔女”でも、もっぱら「猿顔」とか、「顔が長い」、「ブ男」みたいな印象しか日本の観客には残さなかった。よって、配給会社は彼の演技や演じるキャラクターが日本ではウケないと判断する。よって、主演作の日本公開がまた見送られる。よって、なんとも気の毒な悪循環だ。よって、でも私は彼が大好きです。よって、・・・以上。
(注9) メリーに首ったけ”(98年)、“ミート・ザ・ペアレンツ”シリーズのスティラーは今後も出演作品が目白押し。彼も88~89年の1シーズンだけ“SNL”のセミレギュラーだった。
ところで、スティーブ・マーティンという有名なコメディー俳優がいる。
彼の出演映画といえば、日本で誰もが知っているものとなると、“愛しのロクサーヌ”(87年)とか、“花嫁のパパ”シリーズあたりということになるだろう。(注10)
映画に詳しい人なら、他にも次から次へと出演作品名が挙げられるはずだ。
そして、そういう人の中には、S・マーティンも“SNL”のレギュラーメンバーだったと思っている人がいるかもしれない。
彼は第2シーズンからの四年間だけで八度もゲストホストを務めた為、セミレギュラーみたいな印象もあるが、実際には‘ホスト’のみで、‘レギュラー’になったことはない。
(注10) “リトルショップ・オブ・ホラーズ”(86年)でサディスティックな歯医者を演じるS・マーティンの演技は最高。L.A.という街が好きな人には“L.A.ストーリー/恋が降る街”(91年)をお薦めします。
これからも、新たなコメディアンやコメディー俳優を輩出するであろうこの“SNL”からは、ますます目が離せないですね(因みに、“ホントに困ったコでちゅね 再び”での写真に写っているロブ・シュナイダーも“SNL”出身です)。
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